俺自身は自分の名字に何の愛着もないし、結婚したら相手の名字にしてもいいくらいだ。
俺は十八の時に今の名字に変わった。詳しい事情はどうでもいい。
だが、苗字がどうだろうが俺は俺だし、改姓による影響など
大したものではなかった。だから、同姓だろうが別姓だろうが好きにすれば?と思ってる。
この件について漫画家のある人が別姓反対論を強硬に主張しており、その根拠の一つに
「子供が親と違う苗字であることの不都合、いじめ 」を挙げているが、俺にしてみればそんなの
”それが当たり前になれば誰も気にしなくなる”で済む話だと思ってる。
そもそも、提案されているのは「別姓の自由」であって、強制ではない。
家格を重んじる由緒正しい家柄をアイデンティティにしたいならば、同姓で良いのだ。誰もそれを否定なんかしていない。
俺は両親共に百姓の家系なので、家柄なんてものがそもそも存在しない。
先の漫画家はこうも言う。
「日本人は苗字を重んじる文化を持っている。100年間で定着した伝統文化だ」
これには違和感を抱かざるを得ない。
元々平民は苗字を持っていなかった。「〇〇村の権兵衛」とか「越後屋の精一郎」と言う区別で
何の問題もなかった。明治になって、家単位で徴税と徴兵の事務的必要が生じたので
「苗字を名乗ることを許可する」と言うおふれを出したが普及せず、業を煮やして
「苗字を名乗らなければならない」と言う命令に変わった。民衆の意思とは無関係に。
それのどこが文化なんだろう?少なくとも俺の解釈では文化とは民衆の中で醸成されていくものではないのか。
トップダウンで制度的に押し付けられてきたものが年月が経ったからって伝統文化になぞなるまい。
なんで俺がこの件でむかつくのかと言うと、制度改正に反対している者たちの「本音」を感じてしまうからだ。
別姓の自由(権利)になって不利益を被る奴なんかいないのに何故反対なのか。
理由は一つしかなかろう。
「女(妻)の権利や自由を拡充すると、つけ上がって男にとって不愉快だから」
要するに男尊女卑だ。男尊女卑は伝統か?そうだとしてもそれは時代にそぐわない、悪しき伝統だ。
おそらく彼らの頭にある「理想的世の中」は戦前の家父長制と言う秩序なのだ。自由なんか糞食らえと言う
「戦前ファンタジー」に酔っ払ってる前時代的な ノスタルジスト。
昔の「嫁」像とはどう言うものかを雄弁に語っているのが「この世界の 片隅に」だ。女は勝手に結婚を決められ、
夫の家の付属物として扱われる。それが「正しい形」だと思っている輩が、この国には未だに結構な数いるのである。
もちろんその中核にいるのは「男に生まれたこと自体が既得権益である」 と思ってるジジイ政治家である。
本当に気持ち悪い。俺はそう言うのを「戦前お花畑脳」と呼んでいる。
そんなわけで、俺は「別姓賛成」と言うより「別姓反対者への嫌悪感」に突き動かされてこんな文を書いたのだ。
まあ、便所の落書きとでも思ってくだされや。